みどりの歯科クリニック

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【連載29】(夏休み特集)ハワイ 8.デュークス・ワイキキ

ホノルルに来たら一度は行って見たいレストラン、それがデュークス・ワイキキです。
場所はワイキキのメイン・ストリート、カラカウア通りに面したホテル、アウトリガー・ワイキキの1階です。

レストランはホテル内のビーチ側
カラカウア通りからホテルの建物に入ると、奥の方に人だかりが見えます。
近づくと、カウンターの前で大勢の人が順番を待っています。

そこがレストランの入口。
座席の希望があれば、「室内」、「オープン・テラス」、などと伝えます。

オープン・テラスからは、賑やかなバンド演奏が聞こえて来ます。
満席でもテラスの入口まで進めば、バンドを見ながら席が空くのを待てます。

さらに、後ろの大きな楕円形カウンターでは、生ビールをキャッシュ売りしてくれます。
こうすれば、空席待ちしながら、ビールと演奏を楽しむことも出来ます。

オープン・テラスがおすすめ
テラス内では、ビーチ沿いのテーブルがおすすめです。
目の前に広がる砂浜と果てしなく青い海、そして、その先のダイアモンド・ヘッドが素敵です。

テラスを囲うように、ハイビスカス、プルメリア、そしてナウパカなどの花が咲き誇ります。
夕暮れと共に花たちが闇に隠れると、松明(たいまつ)に火が灯(とも)ります。


 




 

2019-09-15 12:00:00

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【連載29】(夏休み特集)ハワイ 7.アウトリガー・カヌー・クラブとホテル

アウトリガー・カヌー・クラブ
2つの老舗ホテル、モアナとロイアル・ハワイアンの間には、かつて、アウトリガー・カヌー・クラブがありました(*1)。
このクラブはサーフィンやカヌーなど、ハワイの伝統的スポーツを守るため、1908年に設立されました。

最初の建物は草葺きで、カヌーの保管や更衣室として使われました。
「近代サーフィンの父」と言われるデュークも、長年、このクラブで活動しています。

アウトリガー・ワイキキ (ホテル)
このクラブがダイヤモンド・ヘッドに移ると、跡地にホテルが建てられました。
それが、1967年オープンしたアウトリガー・ワイキキです。

建物はカラカウア通りとワイキキ・ビーチの間にあり、最高の立地に恵まれたホテルです。

デュークス・ワイキキ(レストラン)
そのホテルの1階ビーチ側にあるのが、デュークス・ワイキキです。
しばしば、「デュークス・カヌー・クラブ」とも呼ばれる人気のレストランです。

ビーチ沿いのオープン・テラスでは、バンドの生演奏も楽しめます。
目の前にワイキキ・ビーチが広がり、その先にはダイヤモンド・ヘッドが見えます。

(注記)
(*1) Outrigger Canoe Club: (Home Page)/About Outrigger Canoe Club, The Outrigger Canoe Club Story.


 




 

2019-09-08 12:00:00

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【連載29】(夏休み特集)ハワイ 6.ワイキキ・ビーチの老舗ホテル

国際的な観光地に向けて
ワイキキは、かつてハワイ王朝の王族たちの保養地でした。
そして、カロ(タロ)や稲を作る水田が広がる、のどかな湿地帯でもありました。

しかし1900年代に入ると、米国人観光客を狙った観光インフラ整備が進みました。

その第一が、衛生的な観光地をめざした排水路(アラワイ運河)の建設です。
また、はるばるカリフォルニア州などから砂を運び、人工海浜ワイキキ・ビーチを作りました。

これらと並行して、宿泊施設としてのホテル建設も進みました。
ワイキキ・ビーチには、この時期に建設されたホテルがいくつかあります。

モアナ・ホテル
モアナ・ホテルは、1901年にオープンしたワイキキで一番古いホテルです。
現在の名称は、モアナ・サーフライダー・ウェスティン・リゾート&スパです。

米国の文化遺産として米国歴史登録財に登録されています(*1)。

このホテルは、1963年、小佐野賢治(国際興業)が買収したことで話題になりました。
また、オバマ大統領のクリスマス休暇に付き添った、ホワイトハウス・スタッフの拠点でもありました。

ロイヤル・ハワイアン・ホテル
ロイヤル・ハワイアン・ホテルは、大型ホテルとしてはワイキキで2番目、1927年オープンの老舗です。
古くから王族たちがこよなく愛した、伝説の地ヘルモアに建てられました。

ピンク一色に彩られたスペイン・ムーア様式の建物は、「太平洋のピンク・パレス」と呼ばれています。
設計は、高級ホテルでも数々の傑作を残した、ニューヨークのウォレン&ウェットモア社です。

ワイキキ・ビーチをダイヤモンド・ヘッドに向かって歩くと、ロイヤル・ハワイアンの次の次にあるホテルがモアナです。

(注記)
(*1) 米国歴史登録財は、英語で"National Register of Historic Places"と言います。


 




 

2019-09-01 12:00:00

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【連載29】(夏休み特集)ハワイ 5.デュークのロング・ライド

デュークの偉業
ワイキキで一番のサーフ・サイト、キャッスルズ(Castle's)では、波の高さが3mを越えないと砕けません(*1)。
1930年、そのキャッスルズを伝説的な高い波が襲いました。

その波を巧みに捕えたのが、近代サーフィンの父、デューク(Duke)でした。
彼はボード上に立ったまま波に乗り続け、はるか彼方のサーフ・サイト、カヌー(Canoes)まで来たのでした。

その距離1マイル以上と言われるこのロング・ライドは、デュークの偉業として今も語り継がれています。

この時、彼が使ったボードは16フィートのレッド・ウッドでした。
現在、人気のあるショート・ボードと比べると、2倍以上の長さです。

サーフィン史上屈指の名サーファーだった、ジョージ・ダウニングは、このロング・ライドを次のように評しました。

「彼が波乗りしたコースはなかなか難しく、卓越したサーフ技術が必要だった。
その上、ボードが今のように進化する前だったので、さらに難しかっただろう。」

ロング・ライドは本物だった
デュークがこのロング・ライドを成し遂げた後、こんな囁(ささや)き声が聞かれました。

「キャッスルズからカヌーまで波乗りしたって?
そんなことが、本当にあり得るだろうか?」

これを聞いたジョージ・ダウニングは、遂に決心しました。

「よし、デュークと同じロング・ライドを私が試してみよう。
それが上手く行けば、彼の偉業も立証される!」

1950年代始め、ジョージは10フィートのレッド・ウッド・ボードで、このロング・ライドに挑戦しました。
そして、キャッスルズで波に乗った彼は、カヌーよりさらに先の地点まで到達したのです。

そこがハレクラニ・ホテルの沖だったことから、彼は「このホテルまでは行けた。」と確信しました。
しかし、デュークの偉業に敬意を表するため、彼が沖から岸に上がることはありませんでした。

(注記)
(*1) John R. K. Clark(2002): Hawai'i Place Names : Shores, Beaches, and Surf Sites, Univ. of Hawaii Press, Honolulu.


 




 

2019-08-25 19:06:00

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【連載29】(夏休み特集)ハワイ 4.伝説のサーファー・デューク

伝説のサーファー・デューク
デューク(Duke Kahanamoku)はハワイ初のオリンピック水泳選手になると、1912年のストックホルム大会100m自由形で見事優勝しました。

彼は生涯で3度オリンピックに出場し、金メダル3個と銀メダル2個を獲得しています。

しかし彼が残した偉大な功績は、水泳だけではありませんでした。

ハワイの伝統的スポーツ・サーフィンを再興し、ワイキキから世界に広めたのもデュークらでした。

今でもクヒオ・ビーチでは、「近代サーフィンの父」と呼ばれる彼の銅像が、私たちを優しく迎えてくれます。

ワイキキ最大のサーフ・サイト
近代サーフィンのご本家ハワイには、島々の各地にサーフ・サイトがあります。

その中でも大きな波で有名なのが、ワイキキの「キャッスルズ」です(*1)。
ワイキキだけでなく、オアフ島南海岸(サウス・ショア)全体を見ても、ここが一番有名です。

そのキャッスルズには、伝説に由来するもう一つの名前、「カレフアウェヘ」があります。

Kalehuawehe = ka(定冠詞) + lehua(レフア) + wehe(はずす)。
2番目の語「レフア」はオヒアレフアの花ですが、ここでは、その花で作った花輪(レイ)を指しています。

その昔、レフアのレイを身に着けた若者が、それをはずしてプリンセスに贈り、このサイトで一緒にサーフィンを楽しんだのだそうです。

(注記)
(*1) John R. K. Clark(2002): Hawai'i Place Names : Shores, Beaches, and Surf Sites, Univ. of Hawaii Press, Honolulu.


 




 

2019-08-18 12:00:00

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【連載29】(夏休み特集)ハワイ 3.来年末には電車(HART)が走る?

ホノルルは全米第4位の過密都市
近年のハワイでは州都ホノルルへの人口集中が著しく、その人口密度は米国でも第4位にランクされています(2010年現在) (*1)。
また全米で鉄道が無い都市の中では、ホノルルの人口密度が最大です。

これから推測されるように、ホノルルは古くから道路の交通渋滞に悩まされてきました。
これを解消しようとした政治家たちは、50年以上前から鉄道建設を提案してきました。

しかし、それが実際に予算化されたのは2006年で、総額4千億円とされました(*2)。
その後、工事が進む中でその額は2014年には5.3千億円、さらに2017年には1兆円にまで膨れ上がっています。

来年末の一期工事完成を目指す?
鉄道の建設・運営を担うのは ハート(HART:ホノルル高速鉄道)です(*3)。
HARTは2019年4月、全21駅(イースト・カポレイ~アラモアナ・センター)の名称案を公表しました。

また、電車の開通時期については、次のように説明しています。

・2020年末:イースト・カポレイ~アロハ・スタジアム(一期工事)、
・2025年末:イースト・カポレイ~アラモアナ・センター(総延長32km)。

空港とワイキキを結ぶ電車は?
長期的にはアラモアナ・センターからマノアおよびワイキキまで、延伸する構想があります。
しかし、これらにつては未だ予算がついていません。

空港とワイキキの間が電車で結ばれるのは、まだまだ先のようです。

(注記)
(*1) Boeing, G. (2016): Honolulu Rail Transit: International Lessons in Linking Form, Design, and Transportation, planext.2016.3vol.02.
(*2) 1ドル=100円 で換算.
(*3) HART(Honolulu Authority for Rapid Transportation).


 




 

2019-08-11 12:00:00

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【連載29】(夏休み特集)ハワイ 2.空港からホノルル市内へ

ダニエル・K・イノウエ国際空港
ハワイ州の表玄関、ホノルル国際空港の正式名称は、2年ほど前に「ダニエル・K・イノウエ国際空港」に変わりました。

その名は、ハワイ州出身の日系人初の連邦上院議員、井上建(けん)に由来します。
彼は、第2次世界大戦で右腕を失いながら戦闘を続けた英雄でした。

ホノルル市内へは車で
さて、空港とホノルル市内の間に鉄道は無く、唯一道路だけで結ばれています。
具体的な交通機関としては次の2つがおすすめで、いずれも事前予約が無難です。

1.シャトルバス:ロバーツ社(Roberts Hawaii)
1人または2人の場合に割安、 約$16(チップ込)/人です。
他に、スピーディ(Speedi Shuttle), JTB, HIS社なども、類似のバスを運行しています。

2.定額制タクシー:チャーリーズ社(Charley's Taxi)
3人以上で割安、 $29(+チップ)/台です。

一方、以下は予約不要です。

3.タクシー:
空港内タクシー乗り場で順番待ち、 $40(+チップ)/台です。

4.ウーバー:ウーバー社(Uber)
事前登録が必要ですが、タクシーよりも割安です。

なお、荷物が小さくひざに乗る程度なら、市バス(TheBus)がおすすめです。
$2.75/人と格段に安く便利ですが、路線・時刻の事前確認が必要です。

 




 

2019-08-04 12:00:00

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【連載29】(夏休み特集)ハワイ 1.ジェット気流の秘密


行きは速いが帰りは遅い
日本とハワイを往復すると、行きと帰りでは所要時間が違うことに気付きます。

例えば、今年6月初めの成田・ホノルル間の直行便(デルタ航空)では、

・成田→ホノルル: 7時間10分、
・ホノルル→成田: 8時間37分。

でしたから、その差は1時間半近くあります。
そして冬になると、この傾向はさらに顕著になります。

原因はジェット気流
この差を生み出すのは、上空10km付近を西から東に流れるジェット気流です。

その長さは数千km、厚さ数km、幅百km以上、などと言われています。
風速には季節変動があり、冬は360km/hにもなります。

「成田→ホノルル」行きの飛行機は、このジェット気流に乗って飛びます。
そのため飛行機の速度(対地速度)は、動く歩道の上を歩く人と同じで、風速分だけ速くなります。

例えば次のような場合、

・飛行機自身の速度(対気速度): 900km/h
・ジェット気流の風速dddddd: 360km/h

地上から見た飛行機の速度(対地速度)は、900+360 = 1,260km/h、となります。

真の発見者は筑波の大石だった
このジェット気流を発見して世界に発信したのは、大石和三郎でした(*1)。

彼は、筑波の高層気象台・初代台長として、気球を使った高層の風観測に取り組みました。
1926年には、その成果を世界に向けてエスペラント語で発表しました。

しかし当時の研究者たちは、その偉大な成果に関心を示しませんでした。

そしてそれから20年後、シカゴ大学からジェット気流の論文が発表されると、彼の成果はその影に埋もれてしまったのです。

(注記)
(*1) John M. Lewis(2003); OOISHI'S OBSERVATION, Viewed in the Context of Jet Stream Discovery, BAMS-84-3-357, March 2003.

 





 

2019-07-28 12:00:00

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【連載28】ホシザキユキノシタ 5.まとめ

【連載28】では、ホシザキユキノシタのお話しをしました。

皆さまには、つくば市の花でもあるこの花に、興味を持って頂ければ幸いです。

みどりの歯科クリニックは、これからも皆様と共に歩んで行きたいと思っております。
どうぞお気軽にお立ち寄りのうえ、ご遠慮なくご相談下さいますようお願い致します。

 

2019-07-21 12:00:00

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【連載28】ホシザキユキノシタ 4.ABCモデル


花の発生(ゲーテは正しかった)
文豪ゲーテは『植物変態論』で、「花は葉が変化してできた。」と主張しました。
しかし、それが科学的に証明されたのは、それからニ百数十年を経たごく最近のことでした。

そのベースとなったのが、花の発生を遺伝子の発現から説明するABCモデルです。
1990年代はじめに米国のMeyerowitzらにより提唱され、今では教科書にも載っています(*1)。

このモデル(右上図)は、発生する花の器官と発現する遺伝子、の関係を示しています。
例えば、がくの発生ではクラスAの遺伝子が発現し、花弁ではAとB、雄しべではBとC が発現します。

ABCモデルと花弁の変化
右下図は、ABCモデルをホシザキユキノシタに適用したものです。
ここでは仮に、花弁5枚が全て雄しべに変化した場合を想定します。

右上図と比べると、クラスAの遺伝子発現領域は狭まり、がくが発生するW1だけに絞られます。
代わりに、クラスCの発現領域は広がり、右上図で花弁が発生するW2にまで及びます。

その結果、クラスAとBの発現領域は消滅し、代わりに、クラスBとCの発現領域がW3から(W2+W3)に広がります。
こうして、このホシザキユキノシタでは花弁は消滅し、代わりに雄しべが発生します。

ホシザキユキノシタの生育地
ホシザキユキノシタは、筑波山の男体山山頂に自生する他、筑波山神社などにも生育しています。

また、植物園では下記などで見ることが出来ます。

 ・筑波実験植物園 (茨城県つくば市)
 ・国営昭和記念公園 (東京都立川市)
 ・東京都薬用植物園 (東京都小平市)
 ・京都府立植物園 (京都市左京区)

(注記)
(*1) E. Coen and E. Meyerowitz(1991): The war of the whorls: genetic interactions controlling flower development. Nature 353, p.31-37.

 





 

2019-07-14 12:00:00

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