みどりの歯科クリニック

つくば市みどりの駅の歯科

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【連載30】かぐや姫 2.日本最古の物語


物語の元祖:竹取物語
平安時代の女流作家・紫式部は、藤原道長の支援を受けて源氏物語を書き上げました。

そのなかで彼女は、「物語の出(い)で来はじめの祖(おや)なる『竹取の翁(おきな)』」と記しました。
現代語に訳すと 「物語の元祖である『竹取物語』」です。

口承から文字へ
竹取物語に似た昔話は、紫式部の時代より前からありました。
そして、親から子へと口伝えで伝承(口承)されて来ました。

この昔話の世界は、仮名文字の発明により大きく変わりました。
口承されて来たお話しが、文字として残るようになったのです(*1)。

これが物語の誕生で、紫式部はその元祖を竹取物語としました。

富士の煙から年代を探る
竹取物語の最後は、富士山に関する文で終っています。
 「その煙、いまだ雲の中へ立ち昇るとぞ、言い伝ヘたる(*2)。」

一方、905年編纂の古今和歌集・仮名序には、次の記載があります。
 「今は、富士の山も煙たたずなり。」

これに着目したドナルド・キーンは、竹取物語は「905年より前に書かれた」と推測し、「日本最古」 としました(*3)。

竹取物語は日本最古の物語
このように、竹取物語は日本最古の物語と考えられています。

(注記)
(*1) 清水泰(1956):物語の祖, 立命館大学日本文学会, 論究日本文學,第5号(1956年6月).
(*2) 平安時代には富士山の活動が活発でした。この時期の歴史的噴火として、貞観大噴火(864年)、および承平7年の噴火(937年)、などが伝えられています。
(*3) Yasunari Kawabata, Masayuki Miyata, Donald Keene(1998): The Tale of the Bamboo Cutter, Kodansha USA, September 16, 1998.


 

 

2019-10-13 08:00:00

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【連載30】かぐや姫 1. 小学生から大人まで


かぐや姫の故郷
秋も深まり、夜空の月が一段と美しく輝く季節になりました。

あの美しい月は、昔々竹から生まれた、かぐや姫の故郷(ふるさと)です。
月に帰ったかぐや姫は、今頃、翁(おきな)たちを思い出しているかもしれません。

これからしばらくは、かぐや姫が都で活躍する昔話、竹取物語についてお話ししましょう。

教科書でおなじみ
竹取物語が初めて教科書に掲載されたのは、大正7年、今から100年も前のことでした(*1)。

そして 「今は昔、竹取の翁といふものありけり。」で始まるこの物語は、今では、お馴染みの教材になりました。
義務教育では小学5年と中学1年、そして高校では国語総合と古典A・Bに登場します。

私たちが学校で勉強して行くなかで、3回も出会うこの竹取物語は、まさに古典教材の王様と言える存在です。

そして受験でも
教科書の世界でこれだけ有名な竹取物語ですから、期末試験などでは必須の勉強項目です。

そして中・高・大学への入学試験でも、あらすじを知っておくことが大切と言われます。
さらに公務員試験などでは、一般教養の問題として出題されています。

どうやら竹取物語は、日本人として必要な教養の一部、とされているようです。

家族でかぐや姫に親しもう
秋の夜長、そして読書の秋、と言われる季節です。 家族みんなで月を見ながら、もう一度、竹取物語を手にとって見ましょう。

(注記)
(*1) 青木美咲希(2019):教材『竹取物語』の考察, 愛知教育大学国語教育研究会, 会報 第7号, 2019.02.28.

 

 

2019-10-06 08:00:00

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【連載29】(夏休み特集)ハワイ 10.まとめ

【連載29】では、夏休み特集としてハワイのお話しをしました。

今年の夏は例年より遅く始まった分だけ、終わるのも遅かったようですが、皆さまはお元気に過ごされましたでしょうか?

みどりの歯科クリニックは、これからも皆様と共に歩んで行きたいと思っております。
どうぞお気軽にお立ち寄りのうえ、ご遠慮なくご相談下さいますようお願い致します。

 

2019-09-29 12:00:00

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【連載29】(夏休み特集)ハワイ 9.デュークスのビュッフェと伝統料理

デュークス・ワイキキはビュッフェがおすすめ
デュークス・ワイキキで特に人気があるのが、ビュッフェ形式の朝食とランチです。
そしてランチタイムには、ビュッフェだけでなくアラカルトも楽しめます。

朝食ビュッフェは7時から10時半まで。18ドルという安さですが品数はとても豊富です。

例えばエッグベネディクト、パンケーキ、フレンチトースト、そしてヨーグルト、チーズ、ソーセージ、ベーコン。
果物類ではパパイヤ、パイナップル、メロン、オレンジ、グレープ、そしてグリ-ンサラダ。
さらにトロピカルジュース、コーヒー、紅茶などがあります。

人気のオムレツ・コーナーでは、多彩な具材の前に長い行列ができます。
でも、シェフのフライパンさばきに見とれていると、すぐにアツアツのオムレツが焼き上がります。

カルアポークはハワイの伝統料理
ランチビュッフェのメニューの中に、カルアポークがあります。
蒸し焼きにしてほぐした豚肉はとても柔らかく、キャベツと良く合っています。

このカルアポークはハワイの伝統料理で、かつては、儀式や特別のお祝いの時に作られました。
カルア(kalua)は、「地中オーブンで焼く」と言う意味です。

会場の片隅で地面に穴を掘り、真っ赤に焼いた石を敷きました。
これが地中オーブンで、ハワイでは「イム(imu)」と呼びます。

焼石の上にバナナの葉を敷いたら、豚をまるごと入れて、上からバナナの葉で覆います。
こうしてイムの中で長時間じっくりと、豚を蒸し焼きにするのです。

このカルア(地中オーブン)で焼き上げたポーク(豚の肉)を、細かく裂いたのがカルアポークです。


 




 

2019-09-22 12:00:00

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【連載29】(夏休み特集)ハワイ 8.デュークス・ワイキキ

ホノルルに来たら一度は行って見たいレストラン、それがデュークス・ワイキキです。
場所はワイキキのメイン・ストリート、カラカウア通りに面したホテル、アウトリガー・ワイキキの1階です。

レストランはホテル内のビーチ側
カラカウア通りからホテルの建物に入ると、奥の方に人だかりが見えます。
近づくと、カウンターの前で大勢の人が順番を待っています。

そこがレストランの入口。
座席の希望があれば、「室内」、「オープン・テラス」、などと伝えます。

オープン・テラスからは、賑やかなバンド演奏が聞こえて来ます。
満席でもテラスの入口まで進めば、バンドを見ながら席が空くのを待てます。

さらに、後ろの大きな楕円形カウンターでは、生ビールをキャッシュ売りしてくれます。
こうすれば、空席待ちしながら、ビールと演奏を楽しむことも出来ます。

オープン・テラスがおすすめ
テラス内では、ビーチ沿いのテーブルがおすすめです。
目の前に広がる砂浜と果てしなく青い海、そして、その先のダイアモンド・ヘッドが素敵です。

テラスを囲うように、ハイビスカス、プルメリア、そしてナウパカなどの花が咲き誇ります。
夕暮れと共に花たちが闇に隠れると、松明(たいまつ)に火が灯(とも)ります。


 




 

2019-09-15 12:00:00

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【連載29】(夏休み特集)ハワイ 7.アウトリガー・カヌー・クラブとホテル

アウトリガー・カヌー・クラブ
2つの老舗ホテル、モアナとロイアル・ハワイアンの間には、かつて、アウトリガー・カヌー・クラブがありました(*1)。
このクラブはサーフィンやカヌーなど、ハワイの伝統的スポーツを守るため、1908年に設立されました。

最初の建物は草葺きで、カヌーの保管や更衣室として使われました。
「近代サーフィンの父」と言われるデュークも、長年、このクラブで活動しています。

アウトリガー・ワイキキ (ホテル)
このクラブがダイヤモンド・ヘッドに移ると、跡地にホテルが建てられました。
それが、1967年オープンしたアウトリガー・ワイキキです。

建物はカラカウア通りとワイキキ・ビーチの間にあり、最高の立地に恵まれたホテルです。

デュークス・ワイキキ(レストラン)
そのホテルの1階ビーチ側にあるのが、デュークス・ワイキキです。
しばしば、「デュークス・カヌー・クラブ」とも呼ばれる人気のレストランです。

ビーチ沿いのオープン・テラスでは、バンドの生演奏も楽しめます。
目の前にワイキキ・ビーチが広がり、その先にはダイヤモンド・ヘッドが見えます。

(注記)
(*1) Outrigger Canoe Club: (Home Page)/About Outrigger Canoe Club, The Outrigger Canoe Club Story.


 




 

2019-09-08 12:00:00

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【連載29】(夏休み特集)ハワイ 6.ワイキキ・ビーチの老舗ホテル

国際的な観光地に向けて
ワイキキは、かつてハワイ王朝の王族たちの保養地でした。
そして、カロ(タロ)や稲を作る水田が広がる、のどかな湿地帯でもありました。

しかし1900年代に入ると、米国人観光客を狙った観光インフラ整備が進みました。

その第一が、衛生的な観光地をめざした排水路(アラワイ運河)の建設です。
また、はるばるカリフォルニア州などから砂を運び、人工海浜ワイキキ・ビーチを作りました。

これらと並行して、宿泊施設としてのホテル建設も進みました。
ワイキキ・ビーチには、この時期に建設されたホテルがいくつかあります。

モアナ・ホテル
モアナ・ホテルは、1901年にオープンしたワイキキで一番古いホテルです。
現在の名称は、モアナ・サーフライダー・ウェスティン・リゾート&スパです。

米国の文化遺産として米国歴史登録財に登録されています(*1)。

このホテルは、1963年、小佐野賢治(国際興業)が買収したことで話題になりました。
また、オバマ大統領のクリスマス休暇に付き添った、ホワイトハウス・スタッフの拠点でもありました。

ロイヤル・ハワイアン・ホテル
ロイヤル・ハワイアン・ホテルは、大型ホテルとしてはワイキキで2番目、1927年オープンの老舗です。
古くから王族たちがこよなく愛した、伝説の地ヘルモアに建てられました。

ピンク一色に彩られたスペイン・ムーア様式の建物は、「太平洋のピンク・パレス」と呼ばれています。
設計は、高級ホテルでも数々の傑作を残した、ニューヨークのウォレン&ウェットモア社です。

ワイキキ・ビーチをダイヤモンド・ヘッドに向かって歩くと、ロイヤル・ハワイアンの次の次にあるホテルがモアナです。

(注記)
(*1) 米国歴史登録財は、英語で"National Register of Historic Places"と言います。


 




 

2019-09-01 12:00:00

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【連載29】(夏休み特集)ハワイ 5.デュークのロング・ライド

デュークの偉業
ワイキキで一番のサーフ・サイト、キャッスルズ(Castle's)では、波の高さが3mを越えないと砕けません(*1)。
1930年、そのキャッスルズを伝説的な高い波が襲いました。

その波を巧みに捕えたのが、近代サーフィンの父、デューク(Duke)でした。
彼はボード上に立ったまま波に乗り続け、はるか彼方のサーフ・サイト、カヌー(Canoes)まで来たのでした。

その距離1マイル以上と言われるこのロング・ライドは、デュークの偉業として今も語り継がれています。

この時、彼が使ったボードは16フィートのレッド・ウッドでした。
現在、人気のあるショート・ボードと比べると、2倍以上の長さです。

サーフィン史上屈指の名サーファーだった、ジョージ・ダウニングは、このロング・ライドを次のように評しました。

「彼が波乗りしたコースはなかなか難しく、卓越したサーフ技術が必要だった。
その上、ボードが今のように進化する前だったので、さらに難しかっただろう。」

ロング・ライドは本物だった
デュークがこのロング・ライドを成し遂げた後、こんな囁(ささや)き声が聞かれました。

「キャッスルズからカヌーまで波乗りしたって?
そんなことが、本当にあり得るだろうか?」

これを聞いたジョージ・ダウニングは、遂に決心しました。

「よし、デュークと同じロング・ライドを私が試してみよう。
それが上手く行けば、彼の偉業も立証される!」

1950年代始め、ジョージは10フィートのレッド・ウッド・ボードで、このロング・ライドに挑戦しました。
そして、キャッスルズで波に乗った彼は、カヌーよりさらに先の地点まで到達したのです。

そこがハレクラニ・ホテルの沖だったことから、彼は「このホテルまでは行けた。」と確信しました。
しかし、デュークの偉業に敬意を表するため、彼が沖から岸に上がることはありませんでした。

(注記)
(*1) John R. K. Clark(2002): Hawai'i Place Names : Shores, Beaches, and Surf Sites, Univ. of Hawaii Press, Honolulu.


 




 

2019-08-25 19:06:00

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【連載29】(夏休み特集)ハワイ 4.伝説のサーファー・デューク

伝説のサーファー・デューク
デューク(Duke Kahanamoku)はハワイ初のオリンピック水泳選手になると、1912年のストックホルム大会100m自由形で見事優勝しました。

彼は生涯で3度オリンピックに出場し、金メダル3個と銀メダル2個を獲得しています。

しかし彼が残した偉大な功績は、水泳だけではありませんでした。

ハワイの伝統的スポーツ・サーフィンを再興し、ワイキキから世界に広めたのもデュークらでした。

今でもクヒオ・ビーチでは、「近代サーフィンの父」と呼ばれる彼の銅像が、私たちを優しく迎えてくれます。

ワイキキ最大のサーフ・サイト
近代サーフィンのご本家ハワイには、島々の各地にサーフ・サイトがあります。

その中でも大きな波で有名なのが、ワイキキの「キャッスルズ」です(*1)。
ワイキキだけでなく、オアフ島南海岸(サウス・ショア)全体を見ても、ここが一番有名です。

そのキャッスルズには、伝説に由来するもう一つの名前、「カレフアウェヘ」があります。

Kalehuawehe = ka(定冠詞) + lehua(レフア) + wehe(はずす)。
2番目の語「レフア」はオヒアレフアの花ですが、ここでは、その花で作った花輪(レイ)を指しています。

その昔、レフアのレイを身に着けた若者が、それをはずしてプリンセスに贈り、このサイトで一緒にサーフィンを楽しんだのだそうです。

(注記)
(*1) John R. K. Clark(2002): Hawai'i Place Names : Shores, Beaches, and Surf Sites, Univ. of Hawaii Press, Honolulu.


 




 

2019-08-18 12:00:00

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【連載29】(夏休み特集)ハワイ 3.来年末には電車(HART)が走る?

ホノルルは全米第4位の過密都市
近年のハワイでは州都ホノルルへの人口集中が著しく、その人口密度は米国でも第4位にランクされています(2010年現在) (*1)。
また全米で鉄道が無い都市の中では、ホノルルの人口密度が最大です。

これから推測されるように、ホノルルは古くから道路の交通渋滞に悩まされてきました。
これを解消しようとした政治家たちは、50年以上前から鉄道建設を提案してきました。

しかし、それが実際に予算化されたのは2006年で、総額4千億円とされました(*2)。
その後、工事が進む中でその額は2014年には5.3千億円、さらに2017年には1兆円にまで膨れ上がっています。

来年末の一期工事完成を目指す?
鉄道の建設・運営を担うのは ハート(HART:ホノルル高速鉄道)です(*3)。
HARTは2019年4月、全21駅(イースト・カポレイ~アラモアナ・センター)の名称案を公表しました。

また、電車の開通時期については、次のように説明しています。

・2020年末:イースト・カポレイ~アロハ・スタジアム(一期工事)、
・2025年末:イースト・カポレイ~アラモアナ・センター(総延長32km)。

空港とワイキキを結ぶ電車は?
長期的にはアラモアナ・センターからマノアおよびワイキキまで、延伸する構想があります。
しかし、これらにつては未だ予算がついていません。

空港とワイキキの間が電車で結ばれるのは、まだまだ先のようです。

(注記)
(*1) Boeing, G. (2016): Honolulu Rail Transit: International Lessons in Linking Form, Design, and Transportation, planext.2016.3vol.02.
(*2) 1ドル=100円 で換算.
(*3) HART(Honolulu Authority for Rapid Transportation).


 




 

2019-08-11 12:00:00

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