みどりの歯科クリニック

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花は国・地域の象徴

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【連載24】花は国・地域の象徴 18.まとめ

【連載24】では、国の花、茨城県の花、つくば市の花などのお話しをしました。

皆さまには、各地域で美しく咲き誇る花たちに興味を持って頂ければ幸いです。

みどりの歯科クリニックは、これからも皆様と共に歩んで行きたいと思っております。
どうぞお気軽にお立ち寄りのうえ、ご遠慮なくご相談下さいますようお願い致します。

 

2018-12-30 12:00:00

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【連載24】花は国・地域の象徴 17.人々に親しまれるユリの花


多くの人々に親しまれるユリ
ユリは、シンボル・フラワーとして最も人気がある花のひとつです。
中でもヤマユリは多くの自治体に好まれ、全国76もの市町村がシンボルとして選びました(平成16年現在)。

茨城県でも、守谷市と行方(なめがた)市がヤマユリを市の花に定めています。

また、観賞用切り花の生産額ランキングでは、ユリは全国第2位を占めています(平成28年)(*1)。
第1位はキク、そして第3位にバラが続きます。

このようにユリは、日本中の多くの人々に親しまれています。

ユリはキリスト教の大切な花
一方、キリスト教では、ユリは古くから大切な花とされてきました。

受胎告知は、天使ガブリエルが聖母マリアに、キリスト受胎を告げる絵画です。
そこでは、必ずと言ってよいほど、ユリの花が描かれます。

天使が左手に持つこの花は、マリアの処女性を象徴しています。

復活祭のユリは日本から来た
江戸時代末期、シーボルトらが日本のユリを持ち帰ると、西欧の々はその美しさに魅了されました。
やがてその花は復活祭のユリとして、欧米社会に浸透して行きました。

今でも「イースター・リリー」としては、日本原産のテッポウユリが使われています。
その純白で凛(りん)とした姿が、キリストの復活を祝う行事にふさわしいからでしょう。

(注記)
(*1) 農林水産省(2018):花きの現状について, 平成30年10月.
 
空 白



 

2018-12-23 12:00:00

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【連載24】花は国・地域の象徴 16.つくば市の花(その4:植物を愛した昭和天皇)


「星のような花でした」
2000年12月12日、天皇皇后両陛下が茨城自然博物館を見学されました(*1)。

その際、茨城県内で発見された植物の代表として、ホシザキユキノシタが紹介されました。
ホシザキユキノシタは、世界中でも筑波山だけで見られる植物です。

皇后陛下はその花を見て、「星のような花でした」とお話しされたそうです。

かつて、昭和天皇が筑波山に登られた時、このホシザキユキノシタに大変興味を持たれました。
両陛下は、その時の話を博物館でお聞きになり、感慨深そうだったそうです。

どんな植物も生きている
ホシザキユキノシタに興味を持たれた昭和天皇は、「那須の植物」などの著書も残されました。
ここでは、吹上御所の草刈りをめぐる、昭和天皇のお言葉をご紹介しましょう(*2)。

『 雑草という草はありません。

 どんな植物でもみな名前があって、それぞれ自分の好きな場所で生を営んでいる。
 人間の一方的な考え方で、これを雑草として決め付けてしまうのはいけない。』

(注記)
(*1) 小幡和男(2001):天皇皇后両陛下もご覧になったホシザキユキノシタ、ア・ミュージアム(茨城県自然博物館), Vol.27, 2001.3.25.
(*2) 入江相政編(1985):宮中侍従物語、角川文庫.


 






 

2018-12-16 12:00:00

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【連載24】花は国・地域の象徴 15.つくば市の花(その3:花弁から雄しべへ)


ユキノシタとホシザキユキノシタ
ユキノシタは、草丈(くさたけ)が20~50 cmで小さな花を数多くつけます。
ユキノシタをさらに細目分類した時の、変種または品種がホシザキユキノシタです。

開花時期は前者が5月~7月、後者は5月下旬~6月です。

この花の特徴を知るには、花弁(はなびら)と雄しべに注目すると良いでしょう。

ユキノシタ
・花弁は5枚
花弁は全部で5枚。うち3枚は花の上側にあり、小さな卵型をしています(長さ約3mm)(*1)。
残り2枚は下側にあり、大きく細長い「ハの字」型です(長さ約15-20mm)。

上の3枚には濃紅色の斑点がありますが、下の2枚は白色です。

・雄しべは10本
雄しべは10本あり、2本の雌しべを囲んでいます。

ホシザキユキノシタ
夜空に輝く星にあこがれたユキノシタが、懸命にその姿を変えたのが、「星咲雪ノ下」かも知れません。
ここではその変身ぶりを見ましょう。

・下側の花弁が雄しべに変身
ユキノシタとの顕著な差は花弁です(*2)。

花弁の総数5枚は同じでも、その寸法が小さい点が目立ちます。
中でも下側2枚の変化が著しく、幅が狭く長さも短くなり、雄しべのように見えます。

極端な例では、下側2枚が完全に退化して、雄しべに変化しています。
その結果、花弁の数は減少して3枚になり、雄しべは増加して12本になります。

この12本の雄しべが、夜空に輝く星のように見えるので、ホシザキユキノシタの名がつきました。

・全ての花弁が雄しべに
最近のホシザキユキノシタ観察では、さらに極端な花も見つかったようです(*3)。
5枚の花弁全てが、雄しべに変化した例です。

雄しべ15本のこの花こそが、「星咲」の名にふさわしい花なのかも知れません。

(注記)
(*1) 国立科学博物館:(ホームページ)/ 研究と標本・資料/標本・資料データベース/植物/野の植物100選/春/ユキノシタ.
(*2) 茨城県自然博物館(1998):第1次総合調査報告書, 1998年3月28日.
(*3) HiroKen花さんぽ:(ホームページ)/野山の花アルバム2/ユキノシタ科/ユキノシタ属/ホシザキユキノシタ.



 








 

2018-12-09 12:00:00

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【連載24】花は国・地域の象徴 14.つくば市の花(その2:絶滅危惧)


女体山から男体山へ
「西の富士、東の筑波」と言われるように、筑波山は古くから富士山と並ぶ有名な山でした。
そこで多くの植物学者が筑波山を訪れ、いくつもの新種が発見されました。

ホシザキユキノシタはそのうちの一つで、1924年、筑波山の女体山岩壁で松本荒次郎が発見・採集しました。
ところが、その後は生息が確認できないまま、35年もの月日が流れました。

そして、1959年、既に絶滅したとも言われる中で、その生息が確認されました。
今度は男体山の石垣で、木村義明がホシザキユキノシタの群落を発見したのです。

自然博物館の調査
茨城県自然博物館は、県下の野生生物を総合的に調査しています。
それによると、自然自生地のホシザキユキノシタは、個体数が減少しています(*1)。

しかし、ホシザキユキノシタの繁殖力の強さには、期待できそうです。
筑波山神社の石垣へ移植したものは活着(かっちゃく)が良く、うまく根付き成長しています。

絶滅危惧ランクの最上位
茨城県には、絶滅の恐れがある野生生物をまとめた、「茨城県版レッドデータブック」があります(*2)。
ホシザキユキノシタは、絶滅危惧ランクの最上位、「絶滅危惧IA類」です。

具体的には、「ごく近い将来に絶滅する危険性が極めて高い」状況です。

(注記)
(*1) 茨城県自然博物館(1998):第1次総合調査報告書, 1998年3月28日.
(*2) 茨城県(2013):茨城における絶滅のおそれのある野生生物,植物編,2012年改訂版,(茨城県版レッドデータブック),平成25年3月.


 






 

2018-12-02 12:00:00

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【連載24】花は国・地域の象徴 13.つくば市の花(その1:星のように咲く)


花の名前と由来
つくば市の花は、ホシザキユキノシタ(星咲雪ノ下)です。

ユキノシタは、日本、中国などに広く分布する多年生草です。
その名「雪ノ下」は、たとえ雪が積もっても、その下に緑の葉があることに由来します。

また、白い花が雪のように見え、その下に緑の葉があること、に由来するとも言われます。
さらに、葉の白い斑(はん)が雪のように見えるからだとも言われます。

ユキノシタの名前の前にホシザキ(星咲)を加えたのが、ホシザキユキノシタです。
「星咲」は、花弁と雄蕊(おしべ)が作り出す形状が、星のように見えることに由来します。

発見と命名
ホシザキユキノシタが発見・採集されたのは、1924年、筑波山・女体山の岩壁でのことでした。

この花には、命名者とされる人が2人います。
種(ユキノシタ)を細目(亜種・変種・品種)分類する際に、2人の見解が異なるため学名にも差が生じました。

原寛(ひろし)は 1924年、品種(form)として細目分類して命名しました。
  Saxifraga stolonifera Meeb. form aptera (Makino) H. Hara

一方、牧野富太郎は 1926年、変種(var)として命名しました。
  Saxifraga stolonifera Meeb. var. aptera Makino

筑波山の固有種
ホシザキユキノシタは、筑波山で発見され、筑波山だけに生息する固有種です。

1988年、つくば市はこの花を市の天然記念物に指定し、筑波神社を管理者としました。
さらに1997年には、市の花に選定しました。

 






 

2018-11-25 12:00:00

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【連載24】花は国・地域の象徴 12.茨城県の花はバラ(その3:ノイバラが西欧で活躍)


1.野生種と原種(*1)
バラは世界中で大人気で、現在、その園芸品種数は3万以上あると言われています。

この膨大な数の園芸品種の元になったものを、原種と呼んでいます。
原種は人の手で改変される前の、野生のままの種、すなわち野生種です。

ただし、野生種の全てが原種として活躍するわけではありません。
バラの野生種は約120種ありますが、その中で主な原種はたった8種類です。 
 
そのうち日本原産のものは2種類、ノイバラとテリハノイバラです。
 
2.日本の野生種がバラ史上で活躍
19世紀末、ノイバラはバラの原種として、西欧に渡りました(*2)。

そして西欧の園芸品種に、たくさんの花を房咲きさせる特性をもたらしたのです。
そこで生まれたのが、「たくさんの花」を意味するバラの系統、ポリアンサやフロリバンダです。

さらにノイバラやテリハノイバラから、つるばらを代表する系統、ランブラー・ローズが生まれました。

このように日本の野生種は、世界のバラの改良史上で、重要な役割を果たしました。

3.ノイバラたちは茨(うばら)の子孫かも
ところで常陸国風土記は、奈良時代初期の辺境地の事情を解説したものです。
従って、そこに記された茨(うばら)は、今で言う園芸品種ではなく、野生種のバラと考えて良いでしょう。

一方、上記の西欧に渡ったノイバラやテリハノイバラも、日本の野生種です。

となると、私たちに美しい房咲きを見せてくれるフロリバンダは、風土記の茨(うばら)の子孫かも知れません。

(注記)
(*1) ここで現れる数字は大まかな目安です. 文献毎に異なる場合が多く、園芸品種数では2万とも20万とも言われるからです.
(*2) 美野里:(ホームページ)/バラの選び方・育て方/バラの歴史と分類バラの歴史と分類.
 






 

2018-11-18 12:00:00

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【連載24】花は国・地域の象徴 11.茨城県の花はバラ(その2:「茨城」の由来)


「茨城」の名の由来は、常陸国風土記の中の、茨城(うばらき)郡を紹介した部分に記されています(*1)。
以下に、それらの概要をご紹介しましょう。

(1) 茨蕀(うばら)の穴に追い込む
その昔、山の佐伯(さへき)・野の佐伯と呼ばれる、国巣(くず)がいました。
この地方の言葉で言えば、「つちくも」または「やつかはぎ」です。

彼らは、穴を掘ってその中に住んでいました。
そして、人が来ると穴に隠れ、いなくなると野原に出て遊びました。

オオカミやフクロウのような性質であり、また、ネズミのように様子を窺(うかが)っては、物を盗むのです。
土地の人々に招かれ慰められることもなく、また風習も全く違っていました。

その中で、大臣(おほのおみ)の一族の黒坂命(くろさかのみこと)が、「つちくも」を急襲攻撃しました。

彼らが穴から出て遊んでいる間に、穴に茨蕀を詰め込んで、塞いでしまったのです。
それから騎馬兵を放ち、彼らを追ひ立てました。

すると、彼らはいつものように、穴に走り込もうとしました。

しかし、茨蕀のトゲが体に刺さったり、仲間同士の衝突で打撲したりで、大混乱になりました。
中にはこれがもとで死ぬ者もおり、遂に彼らは散り散りになってしまいました。

古老によると、この故事の「茨蕀」をこの地方(県)の名前に、つけたのだそうです(*2)。

(2) 茨(うばら)で城を造る
ある時、山の佐伯・野の佐伯が、手下を率いて盗みや殺しをするなど、国中で大暴れしていました。

そこで黒坂命は、この盗賊たちを滅ぼそうと考え、茨(うばら)で城を造りました。

このことから、この土地は「茨城(うばらき)」と言われるようになった、と伝えられています。

(注記)
(*1) 西野宣明 [校](1839):常陸國風土記.
(*2) 県(あがた)は、3~4世紀(古墳時代初期)に地方豪族が治めた小国家であろう、と考えられています.
そして、「うばら」が「いばら」に変化して行ったのは、このお話しよりもさらに後のことです.

 






 

2018-11-11 12:00:00

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【連載24】花は国・地域の象徴 10. 茨城県の花はバラ(その1:常陸国と茨城郡)


「茨(いばら)」は「バラ」の古称
1966年、茨城県の花は告示により「バラ」とされました(*1)。
県名称「茨城」の「茨」が、「バラ」の古称だからです。

現在、私たちが「ばら」と呼ぶ花は、かつては「いばら」と呼ばれていました。
しかし、時の流れと共に語頭母音「い」が脱落して、「ばら」になったのだそうです。

常陸国(ひたちのくに)と茨城郡
それでは「茨城」と言う県の名称は、どこから来たのでしょう?
奈良時代初期(713年)に編纂された、常陸国風土記(ふどき)にその由来が記されています。

風土記とは、日本全国に律令制度を整備した朝廷が、各国の事情を知るために編纂させた地誌です。

しかし、全68ヵ国のうち、今も風土記が残っているのは、わずか5ヵ国に過ぎません。
その貴重な風土記のうちの1つが、常陸国風土記です。

常陸国は、現在の茨城県の大部分を占める大国で、11の郡から成っていました。
そのうちの1つが茨城郡で、常陸国のほぼ中央部を占めていました。

常陸国の国府は現在の石岡市で、茨城郡の中心でもありました。

(注記)
(*1) 茨城県(1966):茨城県報 号外(3) ,昭和41年3月28日; 茨城県告示343号.
 






 

2018-11-04 12:00:00

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【連載24】花は国・地域の象徴 9.日本の国花は桜・菊(その7:愛され続ける菊)


美しさを競う菊合わせ
「菊合わせ」とは、菊花の美しさを競う品評会のことです。 
 
江戸時代・正徳(1711-16)の頃から、この「菊合わせ」が頻繁に行われました。
武士から町民までを巻き込んだ菊合わせは、当時の一大イベントだったようです。

優秀な菊に選ばれた「勝ち菊」には、1芽が1~3両3分という高値がついたそうです。

その中で、「負け菊」を育てた人の無念、を詠んだのが小林一茶でした。
  「負けたとて したたか菊を 叱りけり」

誰もが楽しめる菊人形
菊人形とは、菊の花や葉を衣装のように細工して、人形に着せたものです。

その起源は、江戸時代後期に江戸・巣鴨で流行した、菊細工に遡(さかもど)ると言われます。
そして安政から明治年間には、江戸・本郷の団子坂で盛んになりました。

その後、菊人形は全国に広がり、見世物興行として流行しました。
近年では、福島、福井および大阪のものが、日本三大菊人形と呼ばれました。

そして今でも、この菊人形の伝統は日本各地で受け継がれています。

秋の風物詩になった菊花展
かつて「菊合わせ」と呼ばれた品評会は、今では菊花展(菊まつり)などの名で行われています。
10月から11月まで全国各地で開催され、日本の秋の風物詩にもなっています。

このように、菊は私たち日本人の生活に溶け込み、愛され続けています。
菊は、桜と並んで日本を象徴する花なのです。


 







 

2018-10-28 12:00:00

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