みどりの歯科クリニック

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【連載25】今年の干支は亥(い) 7.なぜブタが絶えた?(3.食の中心は米)

【連載25】今年の干支は亥(い) 7.なぜブタが絶えた?(3.食の中心は米)


律令制を支える稲
天智天皇は646年(大化2年)、「改新の詔(みことのり)」で 新しい国の基本方針を示しました。
その第1は、「全ての土地・人民は 天皇(公)が所有・支配する」 ことでした。

これを具現化するため、中国の隋・唐をモデルにした律令制が導入されました。
その中で、戸籍や班田収授制などの整備も進められました。

後者では、「国は人民に農地(田)を支給し、収穫物の稲を徴収する(田租(でんそ))」とされました。
ここで言う稲とは、原則として稲穂の束(穎稲(えいとう))でした。

こうして稲は、律令国家・日本の最も重要な生産物になりました。

農民の困窮と律令制の崩壊
律令国家の農民に課されたのは、田租だけではありません。
男性には庸調という税、さらに、労役・兵役などが課されました。

そのため、手元に残る収穫米はわずかで、食べる物にも困る状況でした。
困窮した農民の中には、戸籍を偽ったり逃亡・浮浪する人も目立って来ました。

開墾田(荘園)が増え、米の生産量も増す
奈良時代初期、食料増産と税収増をめざした、壮大な開墾構想が浮上しました。
743年には、開墾田の私有化を認めつつ税を課す、墾田永年私財法が発布されました。

これを受けて、貴族・大寺社などが積極的に開墾したため、大規模な荘園が数多く出現しました。
さらに開墾田では、私有化により耕作意欲が高まり、生産性が向上しました。

この耕作面積の増加と生産性向上のお陰で、日本の米は生産量を大きく伸ばしました。
こうして、米を中心とした日本的食生活が、社会に広く浸透して行ったのです。


 




 

2019-02-17 12:00:00

干支(えと)